人生しんどい!

富山県でイラストレーター兼作家をしています。社会でまともに生きて行けない現実を突きつけられた社会不適合者が、生きる為に必死で勉強して発信しています。少しでも人の役に立ちたいです。

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【どうせ死ぬんだから】死について考える【社会不適合者】

富山県でイラストレーター兼作家をしています。

 

どんなテーマでブログを書こうか

友人に相談していたところ、

『死』について書くのはどうかと提案が。

その時に、私はまだ若いのに何故?

と思ったのですが、

『死』は誰にでも必ず訪れる。

そして普遍のテーマではあるし、

みんな内心気になるところでは?

 

私はよく『死』について検索する。

と、少し宇宙人な友人(笑)

絵描きで集まると、不安定な生き方を

しているが故に結構深いところまで

話し合います。

これはなかなか語り甲斐があるのでは?

と思い、よく分からない生き方の私が、

どのように『死』を捉えているのかを

勝手にブログに書いて行きたいと思います。

020年の始まり。不安定な状態なこともあり、

真剣に『死』を見つめたいと思います。

① 死を見つめるキッカケ。

30代まであまり真剣に『死』については

真剣に考えた事は無く、家庭環境は

なかなか壮絶だったものの(笑)

私自身基本的に楽観主義なので、

人生楽しいことしなくちゃ損!ウェーイ。

20代正社員の仕事は苦痛だったものの、

毎週だれかと常にワイワイ楽しんでいる

生に貪欲な人生を歩んでいた。

「とにかく生きたい!」と思いながら

過ごしておりました。幸せなヤツ(笑)

 

Uターンして結婚して30代になったある日、

祖父がガンになり入院。

永遠だと思っていた生活が一変。

余命3ヶ月かもしれない。と伝えられ、

生まれて初めて『死』と言うものに正面から

向き合わねばならないことになりました。

親族に病人がいるのはこんなに辛いものなのか

身をもって知らされました。

今まではどこか他人事で、楽しい情報しか

耳に入れない生活をしていたのですが、

今回は他人事ではありません。

暇があれば病院へ出向き、顔を出し、

様子を見ながら横で絵の仕事をしていました。

 

いつ亡くなってもおかしく無い状態のある日、

仕事中突然電話がかかりました。

私は仕事を抜け出し、最期を看取りました。

親族総出で見送ったので後悔は無いですが

人の死に直面したことが今まで無かったので

なかなかの衝撃的なシーンで

正直言えばその場から逃げ出したかったです。

そしてその日から私はゴリゴリの

虚無思想(ニヒリズム)になりました。

「どうせ死ぬんだから。」

全てのやる気が亡くなりました。

絵を描いている事も大好きなお金も

やっていること全てが無駄だと思いました。

② 相談の仕事をする。

なかなか『死』を受け入れられず、

時間を解決するのを待つしか無い状態が続き

『死』とは一体何なのか。

今まで読まなかったジャンルの本を

読み漁ったり、ネットで検索を繰り返す日々。

一年経過し悲しみはある程度収まりましたが、

ごりごりの虚無思想は消えませんでした。

悲しさと向き合うのが怖くて、その頃は

夜中まで調べものをしたり、図書館へ行って

勉強することが、余計なことを考えない

一番の方法でした。

 

この頃勉強の甲斐あって新たな知識が加わり、

人の相談を受ける仕事?を開始します。

人の話の聞き役になる事も多く、

相談を受けることも多かったので、

今副業の一つになっています。

どうやったら悩んでいる人や

苦しんでいる人を、自分なりに

やわらげれるのだろうか?

 

祖父の死が無ければ、私はこの仕事は

しなかったと思うし、

今まではよく分からないフワフワした仕事に

嫌悪感を感じて、ちゃんとした仕事を

に就いた方がいいのでは?

と葛藤した日々でしたが、

多分こういう不確かなジャンルの仕事が

自分には向いているんだろうな〜と

再認識した出来事でした。

 

自分の生き方、地盤が固まった気はします。

ドン底で人間の真価が問われると思います。

私はただ悲しいだけで終わりたくは無かった。

③ どうせ死ぬんだから。

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確かに辛い出来事ではあるのですが、

根はなんだかんだでポジティブ楽観主義。

楽しい方向を見て生きたい。と言う気持ちは

昔からなんら変わりはないのですが、

そこに新しく『死』と言う概念が加わり、

今の自分の考え方があります。

 

祖父の死を経験して思った事は

『死』は必ず誰にも訪れる。と言うこと。

永遠なんて無い。

当たり前だろって感じですが、

私は周囲を見渡して、

このことを普段考えて生活をしている人は

案外少ないのでは?と思っています。

この経験を経て、自分の中での変化、

更に強くなった考えとして

・物欲が急激に減った(自分が死ぬと所有物は最終的にゴミになる。大切なものだけで生きて行く。要らないものは人にあげるか売る。)

・行きたい場所に行く(死ぬ前に後悔したくない。感性が鋭い若い内に旅行へ行きまくる。時間は有限)

・自分のやりたいことに忠実に(人に合わせている時間は無い。自分なりの良さに気付く。)

・身辺整理を常にしておく(いつ死んでもいいように。周囲に迷惑をかけたく無い。)

・好きな仕事をする(他人に何を思われたって良い。人は自分にしか興味が無い。どうせ死ぬんだから笑)

どうせ死ぬんだから」と言うワードが

常に頭の中にインプットされていて

他人から見たら理解出来ない、

生き方をしているのですが、

私自身はこの考え方が加わった事で

凄く生きやすくなりました。

お金が好きなのは変わらないですけどね(笑)

今悩んでいることも死ぬことに比べたら

実は大した事が無いのかもしれません。

たまに死について思うことは

良いことかもしれませんよ。

客観的に自分を見れるようになります。